Happy Happy New Days 後編


久方振りに街へ出て昼食でも共にしようかと、左近は無線LANに繋いだノートパソコンを立ち上げた。
どうせなら、三成の好きな和食の旨い店がいい。ついでに、映画でも見ようか。その後、数日間の引き籠もりで鈍った身体を街の散策で慣らすのもよいかも知れない。
軽やかに右手がキーボードを叩き、左手は頬に走った猫に引っ掻かれた様な赤い筋を撫でる。その説明は、もはや不要であろう。
節だった太い指でその筋に触れると、皮膚の上をピリッとした痛みが走る。愛しい子猫をからかい過ぎた報いのはずなのに、なぜかその痛みに笑みが零れてしまう。


     さてさて、斜めになったご機嫌を取るには、ケーキで釣るのも手だなぁ。


ふと目に止まったスイーツ特集のホームページを見つつ、左近は今まで拾った情報を元に計画を練り上げる。
その横では、先程の左近の不埒な発言で不機嫌顔となった三成が、携帯電話の画面をジッと見据えていた。携帯電話に溜まった着信履歴と留守番メッセージ、そして携帯メールを目で追っている様だが、その顔が段々と変化してゆく。

最初は、不機嫌そうにプウっと頬を膨らませいた。
次に、眉を寄せ眉間に皺を刻んで携帯画面と睨めっこ。
最後に、面白いものを見つけた悪戯小僧の様に口の端をニヤリと上げて、左近を横目で見遣る。

「左近……どうやら、お前の望み通りに『拉致監禁犯』になりそうだぞ」
「はい?」

三成の突拍子もない台詞。だけど、ひどく楽しげに響く声に、左近はノートパソコンの画面から顰めた顔を上げる。

「拉致…なんですか、そりゃ?」
「実家に連絡するが面倒だったんで、放置していたら……」

謳うような三成の声は、益々楽しげだった。

「養母(はは)が『拉致・監禁・誘拐』だと騒ぎ始めている、とみんなからメールが入っていた」
「…………………………え?」

『拉致・監禁・誘拐』という物騒な名詞。
恋人たちの他愛無い冗談としてなら兎も角、社会通念としては立派な犯罪である。

「面倒って……あなた。俺ンところに来る前に、誰にも何も云って来なかったんですか? 実家にも?」
「したぞ。兼続たちは、俺がお前のところに行くと知っているし、養母の携帯メールに『知り合いのところに泊まりに行く。今年は帰らん』、と入れておいた」

三成が左近のマンションにいると、三成の友人たちが知っているのだから、拉致だの監禁だのという警察沙汰に至るような事態には、発生しないと思われる。
しかし、では彼らが三成の居場所について、養母殿に正確な説明が出来るとかといえば、恐らくは否――――。というか、この状況を巧く説明することなどできはしまい。
今頃、三成の養母に詰め寄られて、困り果てているであろう友人方に左近は心密かに合掌をする。

「……物凄くシンプル過ぎやしませんか? そのメールの内容」

呆れた様に三成を見返せば、当人はまったく意に介さない。それどころか、

「直接、電話で連絡すると、養母にあれこれ詮索されるから鬱陶しい」

と、眉尻を上げて、まるで当の養母が目の前にいるかの様に怒った口振りになる。

「だからって……もうちょっと説明のしようがあるでしょうが……」
「『知り合いの家に泊まりに行く』、で間違ってはいない」
「そりゃ、間違ってはいませんがね。何時くらいには、連絡を入れるって一言入れて置いて下さいよ。というか、さっさと実家に連絡しなさい。三成さん、あなた、俺を犯罪者にでもしたいんですか?」
「気にするな。騒いでいるのは養母だけだ。養父(ちち)は俺を信頼しているから何も云わない」

「騒ぎ過ぎなんだ。子供でもあるまいに」と、三成は実家に電話をかける素振りもない。
三成の話だと養父の方は、『三成は賢いから、心配にゃーでよ』と、あれこれ過剰な心配をしている養母を窘めているらしい、とのことだった。お陰で、警察沙汰の心配は杞憂となった。

しかしながら、昨今、誠に残念なことに不幸な事件が多い。
男とはいえ、三成程の美人ならよからぬ事件に巻き込まれたのではないかと心配する養母殿の気持ちは良くわかる。また、「子供じゃないんだから」、と反発する三成の気持ちもわかる。

「そんなに騒がれたくないなら、友人方と口裏を合わせるとか、いくらでも誤魔化しようはあるでしょうに……」
「俺は、嘘は嫌いだ」

折衷案として(今更だが、今後のために)、騒がれないように工作を進めてみても、にべもなく却下。


     真っ直ぐ過ぎるのもどうかねぇ。ま、そこがいいんだけどさ。


「頭は良いはずなのになぁ」と、苦笑しつつ左近は三成に連絡を入れるよう促す。その心中に、友人方に加え養母殿にも同情の念を感じつつあるのは内緒だが……

「…………はいはい。いいから実家に連絡を入れなさい」
「俺に命令するのか、左近のクセに……」

ムスッと口をへの字に曲げて左近を一睨みしてから、不承不承と三成は携帯のボタンを押し始めた。
しかし――――

「入れたぞ」
「随分早いですね。……まさか、メールで『生きているから放っておけ』、とでも入れたんじゃないでしょうね」
「よくわかったな」
「…………あ、あなたねぇ」

この頑固者は、どうあっても養母に電話を入れるのを拒むつもりらしい。
などと会話を交わす間もなく、三成の携帯電話が軽快な着信音を鳴らす。だが、三成は履歴を一瞥するでもなくその着信を切ってしまう。

「出なくていいんですか?」
「見なくてもわかる。養母だ」
「って、ちゃんと出なさいよ」

再び、携帯が鳴る。切る。鳴る。切る。鳴る。切る。エンドレンス――――――
数度の不毛な攻防戦の後、思い切り眉間に深い皺を寄せて三成が一言。

「鬱陶しいな」
「………………」

しつこく何度もかかっている電話に短気な三成が業を煮やし始める。次に携帯電話が鳴ったら、癇癪を起こして携帯を放り投げるのではないかという剣呑な雰囲気だ。
かといって、本当に携帯を投げ付けるわけにもいかない。第一、先日、新しくしたばかりの新品。傷ひとつない真新しいそれを傷物にすることだけは、絶対に避けたかった。
兎も角、執拗な攻撃の手から逃れるには、電源そのものを切ってしまうのも手だが、それでは他の友人たちへの連絡手段をも絶ってしまう。
ということで、三成が下した結論は――――

なにやら、携帯の液晶画面を睨みつけながら親指が迷ったように動く。その間にも敵の執拗な攻撃は諦めることはない。
敵の攻撃が邪魔で目的が達成できないのか、次第に三成の柳眉に皺が寄り始める。

「左近。この機種の着信拒否ってどうやるんだっけ?」

とうとう、三成は端末操作と着信音との格闘を止めて、左近に携帯電話を押し付けてしまった。
決して機械音痴というわけではないが、かといって得意というわけでもない上に購入したばかりの新機種。ここ数日の甘い生活を優先し、ロクに取り扱いの説明書にも目を通していない。まして、イライラと神経が逆立った状態では、落ち着いて操作手順を踏むどころではなかった。
癇癪一歩手前だが、辛うじて左近に助けを求める理性は残っていたようだ。

「貸して下さい」

内心、「素直に電話に出て謝ればいいのに」、と思うのだが、今の三成に直接説教をしても火に油。益々むくれてしまい、最悪、部屋に引き篭もってしまうか、マンションを飛び出してしまうかだろう。
こういう場合は、ちょっと策を練るに限る。
左近は、端末を操作する振りをしつつ、素早く携帯電話のリダイヤルボタンを押す。

「アッ!? 左近、貴様ッ!!」
「はい、繋がりましたよ」
『もしもしッ! 三成!? あなた、どこにいるの!?』

待ち構えていた様に、繋がった携帯電話から漏れ聞こえる張りのある声。余程に心配をしていたのか、その声は切羽詰まったような焦りを含んでいた。
左近は無言で端末を三成に返す。口元を和らげて三成を促すように携帯電話をその手に握らせた。

「……三成です」

漸く観念をした三成は、渋々と携帯電話を受け取るのだった。





「左近…………その、すまなかった」

長い電話が終わった後の最初の一言。
三成は、決まり悪そうに顔を伏せて、その秀麗な顔を隠す。伸びた前髪の間から、チラリと上目遣いでこちらの様子を窺っている。連絡が終わり落ち着いてみれば、意固地にならずにさっさと電話に出れば良かったのだと、反省しているようだ。

「いいんですよ。ただ、あんまり心配をかけさせないで下さいよ」

そう微苦笑を浮かべて笑い返してやれば、三成もホッと肩を撫で下ろす。

「左近。本当にすまない」
「それより、ちゃんと謝ったんですか?」

誰にとは云わないが、一番に謝らなければならないのは、三成の養母だろう。散々に心配をかけさせたのだが、先程の電話でのやり取りを遠目に見守っていた限りでは、きちんと謝罪をしたようには思えない。
痛いところを突かれて、三成の顔がムゥっと歪む。

「わ…わかっている。その……だから…一旦、実家に顔を出すことになった。その時に…ちゃんと謝ろうと思っている」
「本当ですか?」
「本当だぞッ! その…ちゃんと連絡を入れなかった俺が…悪いのだから…」

ここまで素直になったのなら、本当に反省をしているのだろう。

「あぁ。そうだ。その……それでな……」

おずおずと何やら言い難そうに三成が口籠もり、「えっと」とか「あの……」という意味のない詞を並べ立てる。
指をモジモジと忙しなく組んだり解いたり。琥珀色の綺麗な瞳は、天井やら床やら壁やらをウロウロと彷徨う。数度、呼吸を繰り返し、漸く意を決すると、

「左近も一緒に来いと…………云われた」

ボソボソっと戸惑いの理由を告げる。三成はカクンと小首を傾げて、左近を見上げている。その様は、まるで仔犬のようだ。
左近が一緒に実家に行く。要するに、事態は所謂、『彼氏のお披露目』という方向に流れつつあった。

しかし、三成には左近との関係をどの様に養父母に説明をしたらよいのか、皆目判断がつかない。恋愛経験0の三成にとって、こういう場合の対処方法など、片手間に見流していたテレビドラマのワンシーン程度の知識しかない。好みで映画はよく見るが、興味ないジャンルにはまったく手を出さないため、恋愛を取り扱った映画も殆ど見ない。
成り行きで、そういった事態に追い込まれたのも今回が初めて。

「どうしよう?」
「どうしましょう?」

という訳で、恋愛経験豊富(と思うとなんだかムカついてくるが……)であろう左近に助けを求めてみても、左近は困り顔の三成を見るのが楽しいのか、人の悪い笑みで問いに問いで返してくる。
やたらと楽しそうにニヤニヤと相好を崩す左近を恨めしそうに一睨みして三成は唇をツンと尖らせる。

「だから、電話で話すのはイヤだったんだ」
「仕方がないですね。有りの侭に云うしかないでしょう? こういったことは、下手に誤魔化すと却って厄介なことになるもんですよ」
「それは……左近の経験からか?」
「……はは、そりゃね。いろいろと過去にはありましたがね。って、そんなに睨まないで下さいよ」

頬を膨らます三成に左近は表情を改める。

「ところで、三成さんの養父母さんは、こういったことに理解がおありで?」
「…………多分。と云うか、俺がそういう感情を持てたというだけでも赤飯を炊きそうな人たちだから……怒ったりはしないと思う」
「なら、大丈夫でしょう」

そう云いながら、早速左近は練り上げていた午後の予定の修正に入る。
遅かれ早かれ、どうせいつかはこういった事態になることはわかっていたし、三成に惚れ込んだ時点で、自分の社会的な立場も含めてすべての覚悟も決めていた。今更、慌てふためくこともない。
「実家はどこでしたっけ?」、と余裕な態度を崩さない左近に、三成は不安げな表情を向ける。

「……左近」

唇が恐る恐る言葉を紡ぐ。

「もし、俺の養父母が……その…そういう関係に厳しい人たちで…………俺たちの関係に物凄く反対して……」

考えたくもないような最悪の事態。
世情に疎い三成だって、手放しでこのような事態を歓迎する親などいないことはわかっている。自分を育ててくれたあの優しい人たちは、「三成が幸せならば」と驚きつつも拒むようなことはないと信じてはいるが、それでも不安は隠し切れない。


     もしもそうなったら――――


「もしも、そうなったら…………お前はどうする?」

不安と焦燥――――
こんな胸を掻き毟るような安定しない気持ちになったのは初めてだ。
大好きな人が拒まれ、そして、目の前から彼が去っていく。

そんなことは起きないと信じていても保証はない。
だが、そんな三成の不安を感じてか左近の答えは明快極まりないものだった。

「どうもしませんよ。三成さんの養父母が、賛成だろうと反対だろうと関係ありません。反対されても、ずっと俺のところにいればいい。そして、まぁ、気長に待ちましょうや」

口に出して云うと、プライドの高い三成が良い顔をしないのはわかっているから云わないが、三成が好きに暮らせるだけの経済力はあるものと自負している。今朝は、「学生が羨ましい」などとボヤいていたが、彼を守り支えるだけの力が自分にあることが、今は何よりも心強かった。

「それに、本気で別れろと迫られるようなことがあったら……」

真剣な黒い瞳が真っ直ぐに三成を見つめる。その強い眼差しに三成は目を逸らすことができない。

「それこそ、あなたを拉致ってどっかに逃げますよ。例え、あなたがイヤだって暴れても、ふん縛って連れて行くつもりです」

強い視線が不意についっと細められる。その柔らかい視線に捉えられ、三成の鼓動が段々と速度を上げる。

「あなたに会った時から決めているんです」

左近は、不安を押さえ付けるように固く握り締められた三成の手を取る。強ばった指を一本一本そっと解き開くと、震える三成の指に自分の指を絡める。

「何があっても二度と手を離さないと……」
「どうして『二度と』なんだ? 左近は、一度も俺の手を離していない」

掌から直接伝わる体温が、三成の不安を和らげる。

「なんででしょうね。でも、そう思うんです。不思議ですね」
「……そうだな。だが、なんでだろう」

氷が溶けるように頬が緩むのがわかる。
自分の手を包み込む優しい温もり。不安という氷塊を溶かした温もりをもっと感じたくて、三成は包まれる自分の手ごと左近の手を頬に引き寄せる。大きく固く、いっそ無骨ともいえる左近の手。自分を離さないと云ってくれる手。

「俺もそう思う」

この手が愛しい。この手を離したくない。
だから、頬に引き寄せた温もりをもっともっと感じたくて自然とその手に唇を落としていた。



「さて、それじゃ行くと決まったからには、策を練らないとね」
「策?」

低く優しい声色から一転。飄々と調子のいい声で左近がニヤリと口角を上げる。余りの豹変振りに三成が訝しげに眉を寄せると――――

「じつは、俺も『お嬢さんを嫁にください』ってヤツは初めてでしてね。これでも緊張しているんですよ」
「は? え? だ、だ、誰が『お嬢さん』だ――ッ!! それに『嫁』ってなんだァ――ッ!! 俺は女じゃないぞ!!?」
「えー、それじゃ俺の方が『嫁』ですか? それって不気味ですからヤですよ」
「た、確かに不気味だな……」

意識的に話をはぐらかされているのはわかってはいるのだが、思わず脳裏に、『白無垢姿の左近』を想像してしまう。想像したのがウエディングドレス姿ではないのが、せめてもの救いかもしれない。しかし、どっちにしても不気味なことには変わりない。
本気で胸が悪くなり、若干青い顔をする三成を横に喜色満面の左近が、いそいそと出かける準備をしている。手に自分と三成のコートを持ち、愛車のキーをポケットに仕舞う。

「なら三成さんが『嫁』ってことで決まりですね」
「だから、俺は女じゃないから……」
「いいじゃないですか。どうせ夜の役割分担とお……」
「うわ――――ッ! この変態、それ以上云うなぁッ!!!!」

顔を真っ赤に染めた三成が、手近にあった自分の携帯電話を左近に投げ付けたのは、その直後だった。





心の準備をするため、わざと車を三成の実家から少し離れた駐車場に止める。
テクテクと緩めの歩調を並べて二人は歩く。

「…………策と云う割には、随分と姑息な手だな」
「正攻法って云って下さいよ。だいたい、コレ選んだの三成さんじゃないですか」

左近の手にぶら下がっているのは、三成のお気に入りのケーキ店の大きな箱。中にはケーキ数種類が詰め合わされている。ちなみに小箱ではなく店で一番大きな箱である。

「フンッ! それでいいんだ。おねね様もあの店のケーキ、好きだし……」
「あなた、やっぱ自分の好みで選んだんだ……」

蛇足ながら、ケーキは全種類制覇。特に三成が好きなモノは2個ずつ入っていたりする。

「い、いいだろうッ! だから、おねね様も好きなヤツだと云っているじゃないか!!」
「あッ! 道知らないんですから、そんなにちゃっちゃかと行かないで下さいよ。それに、あんまり急ぐとケーキ、型が崩れちゃいますよ」
「……なら、俺が先に行けない様にすればいい」

そっぽを向いて差し出される手。ほんのりと朱を刷いている白い手は、真冬の風に晒されて少し冷たい。

「ハイハイ。ちゃんと前を向いて道案内、頼みますよ」
「ハイはひとつだ。阿呆が……」

三成はプウっと膨れて俯いたまま、左近に手を引かれて歩く。

繋ぐ手の温かさと耳に馴染んだ左近の声。いつもの何気ない会話が、緊張を忘れさせてくれた。何もかもがうまくいきそうな気になる。


Happy Happy New Days


手を繋いで行こう。
一緒に行こう。
新しい日々を共に行こう。
あなたとなら大丈夫。


自分の手を引く左近の後ろ姿に、自然と綻ぶ唇。胸に溢れ満ちるこの暖かな気持ちは何というのだろう?

新しい年の新しい日々。少しずつ変わりゆく日常に差し込む新しい変化と希望。
きっと今日、これから起こる出来事も新しい幸福へと変わっていく。


明日も明後日もその先も、新たにやってくる幸福な日々――――


あなたとふたりで歩いていこうよ。





fin
2007/01/28